
再現性とは、創造のための“観察と理解”の力
「再現性」という言葉を、私はよく使います。
そして、その概念をとても大切にしています。
ここで言う再現性とは、科学のように「同じ結果を再現できる」という意味ではありません。
私が重視しているのは、多くの人が持つイメージや印象を“再現してみせる”力──
つまり、「それっぽく作りこむ感性と技術」のことです。
なぜ再現性が重要なのか
なぜこの再現性を重視するのかというと、創造の出発点が“理解”だからです。
感じてもらいたい印象を再現するには、細かな観察と構造の理解が欠かせません。
「なぜそう見えるのか」「なぜそう感じるのか」。
その理由を言語化できてこそ、人は初めて“意識して再現”できるのです。
文章にしろ、写真にしろ、デザインにしろ──
表面的に似せるだけではなく、「そう感じる理由」を説明できることが、本当の再現力です。
再現には「観察」「蓄積」「分析」が必要
再現性を磨くには、頭の中にイメージのストックがあり、
机の引き出しや本棚には参考となる資料があり、
さまざまなジャンルの作品を見比べて違いを認識している必要があります。
たとえば、世界的なギタリストのソロを正確に再現できる人は、
単に音をコピーしているのではなく、音の構造と感情の動きを理解している。
だからこそ、新しいアレンジにも自在に応用できるのです。
「再現性」は、違和感なく“つなぐ”力でもある
長く続くシリーズを違和感なく引き継ぐことも再現性。
過去の雑誌のテイストを参考に企業誌を仕上げることも再現性。
写真で特定の雰囲気を再現するのもまた、同じ力です。
つまり再現性とは、既存の表現と新しい表現を自然に接続できる力でもあります。
模倣ではなく「共感の翻訳」と言ってもよいかもしれません。
再現の難しさと、創造への道
お店で食べた料理を家で再現するのが難しいように、
本質をつかまなければ「似て非なるもの」になってしまいます。
しかし、その難しさこそが再現性を磨く意味でもあります。
材料もジャンルも異なる中で、「あんな感じで」と言われて形にできる人。
そうした人は、再現の先にある“自分らしい表現”を見つけられる人です。
再現性とは、創造への通過点なのです。
20年前の鹿児島で見た“再現性の美学”
20年ほど前、鹿児島でクラブイベントが盛んだった頃、
街中の洋服店や美容室、レコードショップに貼られていたフライヤーは、
50〜60年代のジャズやアメリカンポップスのジャケットを模した
センスの光るデザインが多くありました。
限られた環境でも、自分たちなりのスタイルで世界観を再現していた。
その草の根デザイナーたちの観察力と再構築の力に、今でも感銘を覚えます。
再現性の先にある「自分らしさ」
再現性は、単なる模倣では終わりません。
「なぜそう見えるのか」を理解し、それを再構築できる人は、
やがて再現の先に“自分の表現”を確立できるのです。
観察し、理解し、再現する。
その積み重ねこそが、創造の本質ではないでしょうか。