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2018.10.07

「ヒト」の仕事

「ヒト」の仕事

夕方、カメラを持って、久しぶりにポタリングしました。
ポタリングとはお散歩程度のサイクリングのことです。

 

今日は快晴で空気も気持ちいい。
ちょうど注文していたロモグラフィーのフィルムが届いたので
その試写をこの秋晴れでやってみたい。
そこで古い機械式カメラにそのフィルムを詰めて
日没を狙って近くの川べりに向かいました。

 

1980年前後に作られたカメラなので自動露出もオートフォーカスもなく
もちろん背面液晶もないので撮影は自然とゆっくり慎重になります。

明るさ(測光機能)については一応5段階のレベル表示がついてますが
「オーバー/ちょい上/ちょうどいい/ちょい下/アンダー」という大味な表示で
測光場所によっても明暗の仕上がりは大きく異なり、
撮影には自分の勘と意思が試されます。

レンズ根元の絞りダイヤルと、上についてるシャッターダイヤルをコチコチ動かし
一つ一つ考えながら操作する過程が、楽を覚えた脳を大いに刺激します。
すぐに結果を確認できないもどかしさもまたよし。
これでイメージ通り撮れていれば、嬉しさはデジカメの比ではありません。

 

カメラデビューが遅かった私がフィルムカメラを使い始めた時は
すでに自動露出とオートフォーカスが主流でした。
間も無くデジタルカメラが登場し、あっという間に普及していきました。
思えば我が社もデジタルカメラの恩恵なしに今はありません。
ラクしてキレイ、そして確実に撮れることが正義でした。

それから20年近くの間、カメラといえばほぼデジタルカメラだった自分が
興味本位で40年前の機械式カメラを手に入れて使い始めてみたのです。

フィルムを入れる。ダイヤルをあれこれ操作して写真を撮る。
フィルムをすべて巻き戻して取り出す。
その一つ一つの手続きに時間の制約も要求もありません。
操作の楽しみは趣味の特権です。

古いカメラに対して、現在のカメラはその領域が狭まっていますね。
(もちろん同じ操作ができる余地は残されていますが)

運動会の撮影を筆頭に、結果重視のニーズはスペックの大幅向上につながり、
誰が撮っても美しく確実に撮れるカメラの開発競争になる。
結果を求めるほどに操作は自動化されます。

 

誤解を恐れずに言えば、
カメラ操作で人間に残された役割は「構図」と「タイミング」。
つまりディレクション、演出です。

その人の感性が、道具の壁に邪魔されずに表に出てきやすくなる。
経験が浅くても試行錯誤が簡単になる。
あらかじめ結果がわかる。
つまり修行が不要になる。もしくは少なくて済む。

 

休日のお粗末な趣味の話から
現代の仕事の変化を連想してしまいました。

成果第一、効率第一を追求するほどに
歩留まりの悪い「ヒト」が介在する範囲は徐々に狭められ、
「ヒト」が果たすべき業務範囲のシフト、しかも高度化を求められる。

人間が楽できるようになったかと思えば実際は逆で
人間としてもっとやるべきことがあるでしょ!と求められる。

もちろん仕事では、成果と効率を追求するのは正義です。
これを追求せずして何が仕事か。

・・であるならば、休みの日は、非効率な楽しみを追求することで
不完全な人間としてバランスが取れるんじゃないかと思ってみたり。

この記事を書いた人

代表井上浩一郎

1964年福岡生まれ。鹿児島市在住。伊佐市出身。国土交通省航空保安大学校卒業。航空局管制技術官を辞め、営業職を経験しながら起業の道を模索。顧客向け会報誌を担当したことがきっかけでメディア作りにハマり、その後情報誌出版で創業。犬2頭とのランニングが日課。趣味として国際政治や戦略論を勉強中。

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