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2018年09月15日

「発見の手帳」

 

ブログには心が動いたことを書きたい。
でも心が動いた瞬間は
なかなかブログを書けるタイミングじゃないんですよね。

しかも夜ブログに書こうとノートやPCの前に座ってもそれが出てこないんです。

頭が疲れていることもありますが
ちょっと思ったこと、感じたことは忘れていたり薄らいだりして
よみがえってこないことが多いんです。

 

 

そういう時にやるのは
過去の自分のノート、メモを見返すこと。
見返して実感が戻ってこないメモも多いんですが、
中には「そうそう」と感覚がよみがえってくるものもある。

そこから拾って書き始めると
だんだんとその時の心情を思い出し、さらに書き足していくこともできる。

読書メモとか仕事メモなどから急遽テーマが生まれたりします。

 

 

ただ単に短い言葉や一文で書き付けていても
そこから復活することは少ないです。
断片的だとどうにも心情を取り戻すことができないようなのです。

やはりメモにはそれなりに現象や出来事を書き、
それに対する心情とその後の対処や提案まで書いていないと
なぜそれを書き付けたのか、その感動の源を取り戻せないみたいです。

 

 

なのでメモするときは
なんでこんなことを書いているんだろうとならないくらいに
事の顛末を記録すべきと思いました。

数日前から読み始めた「知的生産の技術」に
その方針をもっと強化してやるべしと
気持ちを強くした記述を見つけて非常に喜んでいます。

 

それは、著者が
レオナルド・ダ・ヴィンチを主人公にした小説「神々の復活」を読み
印象に強く残ったダ・ヴィンチの手帳使い。
そこからヒントを得た「発見の手帳」メソッド。

 

以下引用。

『私たちが「手帳」にかいたのは、「発見」である。
毎日の経験のなかで、なにかの意味で、
これはおもしろいとおもった現象をを記述するのである。
あるいは、自分の着想を記録するのである。

それも、心おぼえのために、
みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく、
ちゃんとした文章でかくのである。

ある意味では、それはそのままでちいさな論文
──ないしは論文の草稿───となりうるような性質のものであった。
少なくともそういう体裁をととのえている。

そのような豆論文を、毎日、いろんな現象をとらえて、
つぎつぎとかいてゆくのである。
たまってみると、それは、わたしの日常生活における
知的活動の記録というようなものになっていった。』
「知的生産の技術」(梅棹忠夫)

 

 

恐れ入ったのは著者がこれを高校生の頃から始めたということ。
この習慣が著者の様々な研究や著作に活かされたのは
いうまでもないことでしょう。

その場の心情を常に書き出すことが
後々の研究や発信に役立つことは間違いありません。
もちろんブログ書きにも。

私の課題は
数分かけて、その場で納得のいく記録ができるかどうか。
でもこれは是非とも体得しなければと強く思うところです。
記録より筆記具の方に凝ってしまいそうですが・・・

 

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